- グレース 椿宮-Grace Tsubaki-
生きる要素「美の感性=喜び」-もう頑張れなくなった人へ。喜びを感じなくなったとき人は動かなくなる。
例えば、心から自然に感じる
キレイ。いい匂い。楽しい。嬉しい。美味しい・・・
そんな、日常で普通にある当たり前に感じる「喜び」
それを私は「美の感性」と呼んでいます。
この美の感性を感じなくなる時、気づけば感じなくなっていたり、何に感じるかすらわからなくなる時。
そんなことも、生きていればあるものです。
仕事や、誰かのために何かをしたり、そういったことが自分の容量を超えてしまうと、感じなくなってしまいます。
「楽しめ」とか「楽しいことをしよう」とか、世間や人は言いますが、自分の容量を超えてしまったとき、楽しいことを探そうとしても、思い出そうとしても、自分が好きだったことを当てはめてみても、もうピンと来なくなってしまうのです。
仕事や介護、誰かの世話など、自分のこと・自分の幸せを後回しにして頑張ってきた人が、ふと気づくと、「なんで・・・」しかなくなってしまうことが往々にしてあります。
周りからも「そうやって立ち回れる人」「大丈夫な人」と見られ、誰からも褒められることもなければ賞賛されることもなく、ただ空気のような存在になって、誰にも気づかれずにいる現実に気が付いてしまいます。
そして、怒ることも泣くこともできなくなっている。
もう頑張れない。そんなときに、周りや人は「もう頑張るのやめなよ」「もう頑張らなくていいよ」と言います。
簡単に言うけど、頑張ることをやめたら、すべてがなくなってしまうこと、誰もわかってない。そう思うわけですよね。
続けていかないとお金も入ってこないわけです。
そして、誰かが助けてくれるのかと言えば、誰も何も助けてくれない。
何かを頼んだところで、誰かが自分の代わりに頑張ってくれるのかといえば、そうではない。
そういう人も多いのではないでしょうか。
ただ、私は思うのです。
自分以外の人が良くなるように自分のことを後回しにしてやってきた、誰に媚びることもなく、気づかれなくても一心不乱にやってきた優秀な人だと。
それって、誰にでもできることではない。
頭も体も、ましてや優しい心がなければできないことなんです。
それをやり続けて、ある一線を越えてしまっただけだと私は思います。
その一線を越えると、美の感性が消えてしまい、うつ症状が出てしまったり。
「趣味」や「好きなこと」がだいじ、というのは、そういうことなんです。
仕事も、いくらやったって誰も称えてくれない、みんな当たり前だと思ってそう。
そうなると、楽しさや楽しみが消え、「何のために」ともたげてしまいます。
そして、そうなってしまったとき、旅行や誰かとの食事などしなくていいと思います。
気が乗らない、気が進まないのに無理にやろうとすると、また頑張ってしまうことになるから。
誰かに相談することもいいですけれど、世間一般や周りの人の言うことよりも、自分の身体や心と相談して、折り合いがつきそうなところで緩めてみる。
そんな歩み方が良いと思います。
頭で理解できていても、身体と心が理解できないことはたくさんあります。
「気を緩める」ということは、いつしか縛り付けていた自分の身体と心を緩めてあげること。
それでも周りにちょっと腹が立ったり、意固地になって、「自分がやった方が早い」とか「自分がやらなければ誰がやるんだ」ということもあると思います。
そんなときは、「今まで自分のおかげでみんな無事できた。だからここから先はみんなにやってもらう」と、自分の功績を称えたうえで、手放していきたいものです。
疲れてしまった、もう頑張れないあなたがやることは、少しずつ作業を手放して、少しずつ気を緩めてあげること。
自分が傷まないところを、少し崩して、小さな穴をあけて、風を通してあげること。
通気口をつくってあげること。
自分以外の人や事に頑張って疲れてしまった、もう頑張れない人の気持ち、思い。
話したくなったら連絡くださいね。
