- グレース 椿宮-Grace Tsubaki-
精神世界・スピリチュアルと呼ばれるもの
そこには、自分自身や人生を放棄してしまう危険があります。
では、精神世界とは?スピリチュアルとは?
「精神世界」「スピリチュアル」と呼ばれる、そのような言葉がありますが、日本では霊というものも含めてスピリチュアルと呼んでいる方々も大勢います。
精神世界、スピリチュアルというものは、目に見えない「霊性」や「精神性」のことを指しているのではないかと私は思いますが、私は理解ができていません。
「霊性」と「精神性」というものは理解しますが、特に、精神世界というものは人間の逃避願望や現実逃避から創り出した「願望の世界」「理想の世界」ではないかと私は思っているのです。
また、スピリチュアルというものについては、日本と海外では意味が違っていると感じますし、サイキックの類も混同している方も多いかもしれません。
精神世界というものやスピリチュアルというものにハマる人が多いことに私は驚いています。心地好いのでしょうか、それが一時的かつ現実的な心のよりどころとなっているのであれば良いかもしれませんが、危険な面を多く含んでいることを心得ている方は少ないように思います。
雑な言い方になりますが、精神世界・スピリチュアルというものは、自己正当化・現実逃避・妄想・思い込み・決めつけによって人間関係や家庭や仕事だけでなく、自分自身や人生そのものまで傷つけかねないという点があると考えています。
何事も同じですが、好きや興味を持つことは良い事です。そして「熱中」することも時に良い効果があります。
しかし、ハマる=「熱狂」してしまうと、呼称とは裏腹に、視野や見識が広がるどころか自分自身で視野や見識を狭くしてしまい、自ずと道を塞ぎ、自分の人生を自分で生きなくなることになってしまいます。人生や自分自身の放棄に繋がりかねません。
ゲン担ぎなども注意したいところです。
これをしなければ良くならない、とか、これをこうすれば私はこうなる、といった思い込みと決めつけが自分を縛り付け、行く手を阻むのです。
精神世界やスピリチュアルというものも同じです。
私の本音は、「精神世界やスピリチュアルというものにかけるお金があるならば、そのお金で美容院に行ったり部屋の片づけや掃除を依頼したり、友人とあるいは自分一人で美味しいものを食べたり、誰かのためにちょっとしたものを買ったり、そういったことに使う方がよほど即時に身になる」ということです。
私は「時間」を一番大切にしているので、例えば1時間という時間を何のためにどう使うか、という視点でみると、精神世界やスピリチュアルという空想の世界にハマることは無いのです。
好き、興味があることにいちゃもんをつける気はありませんし、人の楽しみを邪魔することはもっとしたくありません。
しかし、精神世界やスピリチュアルというものには危険が孕んでいることも、しっかり心得ていただきたいと私は思っています。
