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  • グレース 椿宮-Grace Tsubaki-

我慢は必要、犠牲は不要

※特殊なケースを除いた一般的な観点から綴っています。


我慢というものは、自分の目的のための行為です。

犠牲というものは、誰かの目的のための行為です。


少しわかりづらいかもしれませんが、

我慢は明確な目的がある場合、その目的のために一時的におこなうことで、

犠牲は自分以外の人の目的のために、継続的になる行為です。

(まだわかりづらいかも)


我慢も犠牲も、自分自身で決めています。

我慢が必要なときは誰にでも多かれ少なかれあることです。「自分は我慢はしない生き方だ!」という人であっても、人生のどこかで、あるいはちょこちょこ、実は必ず我慢が必要になる場面があります。

しかし、犠牲は我慢とは違います。


これは、私の母が言った言葉です。

「たとえ、我慢をしなければならないことはあっても、誰かのために犠牲になる必要はない」


誰か、あるいは大きな物事のために自分を失くす行為が犠牲なのです。


恋愛、家族、仕事などでは特に、我慢と犠牲の区別をつけておくことはとても重要なことです。





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