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  • グレース 椿宮-Grace Tsubaki-

大人になるにつれて増えるやってはいけない「自分はできない奴カウント」-なのに「できないカウント」の達人は大成する

「なんで自分はできないんだろう」

そう思うことがあります。


毎日いろいろなことがあって、大人になるにつれて新しい人と知り合い、周りの人の話やSNSでいろいろな人のことを知る情報がどんどん蓄積されていきます。


「あの人と自分は違うんだ」

そう思い、自分にそう言い聞かせていても、頭ではわかるけれど心が納得できていないことがあります。大人になるにつれて。


人間関係が家族という場所から、学校という場所に広がり、仕事先から社会に広がり、今ではインターネットによって世界に広がっています。その間に、「人間関係がすべて」と聞けばやたらと人間関係を広げ、さらには「凄い人」に会おうとします。


その流れで「又聞き」や「紹介」で人間関係の広がりで世界も広がり、「自分はもっとなにかできるんじゃないか」と思い始めたり、そういった広がりのなかで「なんで自分はできないんだろう」と始まり、本を読み、ネットで調べ、自己啓発などにも首を突っ込み、自分のことなのに自分で手を付けられないほど世界を広げてしまいます。


結果的に、「自分ができること・自分を賞賛してもらえること・自分が納得できること」を探し求めて、返って他人と自分を比較する対象や世界を広げてしまっています。


そして、これも無いものねだりに通じていて、比較対象や世界を広げ過ぎて他人と比べて自分が「できない」ことや、「やろうと思ってもできない」ことを積み重ねてしまいます。


そうこうしているうちに、自分は「アレができない・コレもできない・ソレすらできない」と「できないカウント」がスタートし、気が付けば「何もできない人」という落とし穴にズッポリはまって這い上がることすら困難になってしまうのです。


おまけに、誰かが手を差し伸べても、「どうせできない」「放っておいて」と、無意識に自分をこれ以上もう傷つけまいとして、暗闇に慣れようとしてしまいます。そうすると、せっかく手を差し伸べてくれた人たちも「あいつはあそこに居たいんだ」と意思を尊重してくれるようになります。


私が「できないカウントを絶対にするな!」と叫ぶのは、「できるカウント」に切り替えてほしいから。だって、私だって「できないことだらけ」です。当たり前です、そんなこと。

「できないカウント」したら、キリがないんです。人間なんて。

望んでいることすらできない。


なのに...「できないカウント」を極めた達人になると、実は大成する。

この「できないカウント」を極めて達人になると、できないカウントに飽きてくるのです。そして諦めがでてきます。そこから、できなくて当たり前という考え方がもたげてきます。さらに「自分ができること」に意識が向き始めるのです。自然と。


そして、その「できること」に手を付け始めると、その道がどんどん伸びていくのです。これは「できないカウント」だけのことではありません。

たとえそれが望んでいないことであっても。ほとんどの場合、望んでいないことが多いのも事実ですが、無いものねだりで自分が求めていたことと、自分の才能や能力は違うこともあるということです。


ほかのどんなことでも、同じ仕組みです。

それがわかると、ドツボにはまるのも悪くはありません。しかし、それは後になってから思うことなので、初めからそうは思えないので苦しくなったり、何回も辛い思いを重ねて得られるものです。


(いくらドツボにはまるのも悪くないと言っても、自己啓発とネットワークビジネスには手を出さないことが懸命です)


人間て不思議で、よくできています。自分を信じられないなら、人間の力を信じてみることも視点を変える手段です。


もし今、あなたが「できないカウント」をスタートさせていたり、もうすぐ極めそうだと感じているならば、まずは”できない” と ”できていない” と ”必要” の違いを見極めるようにすると、ドツボから抜け出すキッカケになりますから、ぜひ試してみてください。


ちなみに、「できないカウントを極めて達人になってみよう」と思えたあなたは、達人にはなれません。悪しからず。。










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