- グレース 椿宮-Grace Tsubaki-
「死生観」と「人真似しない生き方」が大事なわけ。人生は喪失で始まり喪失で終わる。
ここに書いているすべての記事は、これまでの経験や知識から得たことと、つねに「なぜ」から始まった私の私見。
人が母親の産道を通ってこの世に誕生して人生が始まるときの記憶がある人もいますが、記憶がない人の方が多いのではないでしょうか。
私がここで書いている「人生は喪失で始まり」の喪失は何を意味するのか...
だって、何もなく始まるのだから喪失するものすらないと思うかもしれません。
でも、そこには母親の胎内では安全に守られ過ごしてきた安心があったはずです。
誰にでも。
しかし、月日がたって、いよいよこの世に生まれ出るとき、私たちは臍の緒を切られて、母親という安心から切り離されるわけです。この瞬間、私たちは喪失を経験します。
「孤独」な状態。
産まれたときの家庭環境がどうであれ、どれだけ祝福に包まれようと、両親が手放そうと、本人は「孤独」な状態であることに変わりないと私は考えます。
この喪失と孤独を埋めようと、私たちは成長と共に自我を持ち始め安心を求めて人生の旅を始めます。これでもか!と喪失の穴埋めをしようとする人は多いものです。
これは無意識のうちのことで、自覚している人は少ないのではないかと思います。楽しさや喜びを求めるにも、そこには安心を見出せるからではないでしょうか。
そして年月を過ごしていくうちに、人それぞれの差はあれど、今度は「死」があることを知り死を恐れるようになります。死んだらどうなるのか、実際、その答えは死んでもわからないかもしれません。
死ぬのが怖い...そう聞くことも度々あります。生きていれば誰もが自分以外の人の「死」と直面し、自分自身も死の恐怖を感じることもあります。
死んだらどうなるのか、死の先がわからないことが怖い、という人もいるでしょう。そもそも、人は、わかっていない未知のことに不安を感じて、占いなどで先=答えを知りたがるものです。
しかし、私が思う「死の恐怖」は、産まれたときに経験した安心の喪失を埋めようと自我をもって生きてきたのに、”「死」によって自我を喪失する”恐怖というもの。
自分はどこにいってしまうのか...そんな、自分(自我)の喪失=死。
人は、「なくなる」ことが怖い生き物。
モノ、財産、友人や家族、・・・得たもの有るものがなくなるのがとにかく怖い。だから執着もするし奪われまいと必死にもなるものです。
これはあくまでも私の私見。人それぞれの見解があって当然。
ただ、私がこの記事で言いたいことは2つ。
1.「死生観を持って生きると人生ちょっと楽になる」ということ。
2.「人の真似をしない生き方が楽である」ということ。
成功者の真似、憧れの誰かの真似。そうすれば同じように生きられると思ったら大間違い。
あなたには、あなたの人生があるのだから。
あなたの人生を生きることで、あなたの運も巡りも開けてくるのです。
それは誰かのものではない、あなただけのものなのだから、人の真似をして生きようとしたら、あなたのために用意されている繋がるものに繋がらなくなり、喪失感が増していくだけの人生になってしまいます。
それぞれの”死生観をもつ”
誰かの”真似をしない”
これが、何を喪失しても怖くない人生の土台となると私は思っています。
