- グレース 椿宮-Grace Tsubaki-
ものごとを決める基準―誰のため?何のため?
極力ね、極力です。私はものごとを決める基準を「優しさ」にしています。
優しさと照らし合わせて決めるようにしています。
人それぞれ、そのときによって、内容によって、ものごとを判断して決める基準があると思います。
目的によってというのでしょうか。
でも、どのような目的でも、どのようなときでも、どのような内容でも、そこに優しさがあるかどうか。
優しさって何!?ということですけれど、要は、自分や誰かが犠牲になっていないかとか、そういったこともあります。
自分がワクワクしても、面白くない誰かがいたら?
全員が良い思いをしたり、建設的な結論を導くことは、今の時代特に難しくなっているかもしれません。本心や感情は本人しか知りませんし。
こういった判断でよく間違えるのは、我慢と犠牲と忍耐。
自分のだいじなことのために我慢が必要なときもあります。
忍耐は、辛い、苦しい、悲しい・・・そんなときも耐え忍ぶということですが、ここを乗り越えることは生きる上で必要なこと。
それらと犠牲はまったく違うものです。
自分が決めたことが「誰のために」「何のために」ということではないかと思います。
実は、ネガティブな理由で自分だけのために決めていることも多くて・・・例えば、悪い状況を良くするために何かをしたいとき、実はそれってネガティブがスタート地点になっています。手を打つ・対策することはだいじですが、よくよく考えると、「(狡さから)自分が楽になりたい」とか「自分の現実逃避(良くなる想像をしているだけ・何かやってる感)」ということもよくあることです。
「自分を楽にする」という目的でも、自分はやらずに誰かにやらせて儲けだけ受けるのはよろしくなくて、過剰になっている負担を減らす・一人で何もかも抱え込みすぎている(人に仕事をさせない)などはよろしいと思います。
悪い状況を改善しようとして、何か手を打たなければ!と、無意識的に、頑張ってる感や自分やってる感がでるものを選んでいたり、外に外に求めて美味しそうな話に乗ってしまったり。今あるものを太くすることをしないで「現実逃避」する。これも陥りやすい罠のようなものです。
これらは、たいてい上手くいきませんね。上手くいかない人の理由の一つかもしれません。
それから、「面倒だから」という基準も良い結果にはならないと思います。
言葉は意識を現しますけれど、「面倒だからこっちにする」や「面倒だからこれはしない」ではなく「こっちがスムーズだから」や「これはできる」で決める方が、ものごとって進むんです。
意識が違うから。↑想像して、この違いを感じてみてください。言葉の選び方ひとつで、本当に違いますから。
なにかを決めるとき、そこに自分や人に対して優しさがあるか、現実逃避になっていないか、木を見て森を見ずになっていないか、ちょっと確認するだけでも物事の進みは変わるものです。
