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  • グレース 椿宮-Grace Tsubaki-

「やりたいことがわからない」 - やりたいことを無理に探すな、だいじなことを見つけろ

「やりたいことがわからない」という人は多いものです。それに乗じて、「やりたいことがわからなくて当たり前」「やりたいことなんて変わるもの」と言う人も多くいます。


でも、何か見つけたいのですよね。邁進できることを。


かく言う私も、やりたいことは若かりし頃からコロコロ変わっていました。子どもの頃から、「動物園の園長と飼育員をやりたい」「書道の先生になりたい」「歌手になりたい」etc...それはそれは夢も希望もたくさんありました。

好奇心が強いゆえにコロコロ変わっていました。


大学卒業が見えてくると、周りは就職活動を始めましたが、私は親からも就職のことなど言われず考えもせず呑気に過ごしていたポンコツです。チヤホヤされる仕事を適当にしていましたが、「やばい、社会に乗り遅れる」真剣にそう感じたのは「時すでに遅し」の頃。


そのころ「やりたいこと」があったかどうかが実は記憶にありません。そうこうしていた私の誕生日が近づいたある日、友人が「誕生日プレゼント、なにがいい?」と聞いてくれました。

私は、「ちゃんとした仕事がほしい」と言うと、友人は笑ってましたが、それから何日か経ったとき、1日に2つの仕事の話をもってきてくれました。そんなことある?...友人は、私に仕事というプレゼントを差し出してくれたのです。

ひとつは、歌手への道。もう一つが、今現在に繋がった占いと心理の道。


私が選んだのは後者でした。理由は「音楽や歌は私の宝物だから仕事にしたくない」と思ったことと、後者は「万が一、誰かの役に立つかもしれない」と咄嗟に思ったからです。

そんなにちゃんと考えたわけでも、深く考察したわけでもなく、単に、咄嗟にその2つの理由が出たからです。


思い返せば、ある意味「やりたかったこと」なのかもしれませんが、「占い」は好きではなくどちらかというと嫌い。ついでに「占い師」に良い印象をもっていなかったのです。


やりたくないことをやり続けたら、自分の才能と能力=自分の居場所が見つかった

しかし、ここで私は嫌いなことでも苦手なことでも、やったことのないことでも、やらざるを得ない状況に陥ります。直属の上司が、私が入った2日後に大ボスとケンカして辞めてしまったのです。

それだけならまだしも、少人数だったこともあり、雑誌の締め切りもあり、企画もあり、海外進出計画もあり、講座や試験開催などその上司がやっていた仕事が丸々私に一気に降りかかってきました。顔面蒼白。


でも「やらない」という選択肢が私にはなかったのです。友人からの誕生日プレゼントは強烈なものとなりましたが、必死で学び、必死で(こっそり)プロに教えてもらい、驚くべき速さの1か月で習得しました。これには自分でも驚きましたし、今思い出しても不思議で説明がつきません。(ただし、二度とできません!)

今思えば、この強烈なプレゼントとなった一ヶ月が私の礎となったのです。


その後の私は、「やりたいこと」が出ては消え、見つかっては見失うの繰り返しで、私自身が「やりたいことがわからない」状態になっていました。


やりたいことを見つけた人や、やりたいことをやっている人を見るたびに、私には何もないと思うようになったものです。自己嫌悪。呑気に生きてきた天罰と思ったものです。


ところが、そのたびにやりたくない占いや心理に戻ったのです。だって、それしか自信をもってできるものがなかったから。今でも実は占いはやりたくないのです。


しかし、私の意思とは関係なく、私はこうして自分の才能と能力に確信を持つことができました。


私はいつでも戻れる自分の居場所を見つけたのです。



<やりたいことと才能や能力は違う>

私の場合、この「やりたくないこと」が自信というかたちで心の支えとなってきたことを後から実感しています。それをやってきたからこそ、というもの。


ただし、これは成功の法則が人それぞれ違うことに通じていることですが、これは私の法則であって、やりたいことがすぐ見つかってできている人もいます。人それぞれということを念頭においていただきたいと思います。


私は、占いや鑑定や人生相談で必要なことがでてくると勉強(せざるを得ない)しています。今でも。終わりやゴールはありません。


これが私の幹となり、枝葉が分かれ、さまざまな形で、でもやっていることは変わらずで私の生きる軸ができています。軸と言うのは、仕事としてという意味ではなく、人類としてという観点です。


私の話が長くなりましたが、やりたいことは変わるものです。才能や能力とも違います。

なんでもいいから手を付ける。始めてみる。

そこから、次はこうしようとか、これは違うなといった次に進む判断ができ、そのうちに才能や能力が湧き出てきます。



<広げていいのは見識、手は広げるな>

この意味を理解できなくても、言葉だけでも頭の片隅においてみてください。

見識が広がるほど、自分の核を見つけやすくなります。見識ではなく自分の手を広げようとすると余計に混乱します。

やりたいことがわからないのに手を広げたら、返って何を選んでいいのかわからなくなり、無意味に手を出し人間関係さえも悪化しかねないドロ沼に足を突っ込むこともあります。


<やりたいこと無くて何が悪い、だいじなことを見つけよう>

やりたいことが無いことが悪いことのような風潮がある時代ですし、就活でもなんでも自分を良く見せて着飾って嘘をついて評価をあげている人は多いのです。

やりたいことがなくて何が悪い。私はそう思います。自己弁護かもしれませんが、そう思います。


やりたいことを無理に探そうと焦っている人を多く見受けますが、なんでも「探す」より「見つける」方が本当のことに近いのです。今、やりたいことを探そうと躍起になっていたり、本当にやりたいことを見つけたいなら、まず「探す」ことをやめることです。


<やりたいこと探しをやめると、自分の才能と能力が自然と見つかる>

手放したとき、本当にだいじなことが見えてきます。そして、そのだいじなことが見えたときに(すぐにとは言えませんが)必ず、自分の才能と能力が活きる道が目の前に開けます。


地味で人目につかなくても、誰からも褒めてもらえなくても、大きなことでなくても、派手でカッコいいことでなくても、いいじゃないですか。


私のように「やりたくないこと」を23年間もやっているのに、ここまで成長できて、まだ先もある。たくさんの勉強ができています。これが私にとって無理のない自然な姿なのです。

そして私は今、歩んでいる道のうえで「次はこうしよう」という計画はありますが、世間で言うやりたいことを見つけようとも思わないし、それは自然とやってくると思ってますし、人生で一番だいじなことは「やりたいことを見つけることではない」と腑に落ちています。


















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